急に涼しく、というか、寒くなってきた
日が落ちる時間もどんどん早まってきているし
あぁ、本当に夏が終わっちゃう
無印のルイボス&黒豆茶を水出しパックでたくさん作って
毎日がぶがぶ飲んでいたのに(美味しいのでおすすめです)
今週はもう、あたたかいほうじ茶ばかり飲んでいる
夜には17℃、18℃になったりするものだから
カーディガンが手離せない
コートの状態も近々見ておかないといけないな、なんて
もうすこし、ほんのすこしだけ、夏を惜しみたいと思っても
否応なしに、押し出されるように「いま」は秋へと向かってゆくから
気持ちが追い付かない
自分だけが、夏のさなかに置いていかれているみたいだ
苦手な夏と、大好きな秋
大好きな季節がやってくるのに、切なくなるのはどうしてなんだろう
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昨晩、映画『影裏』を観た
地元が舞台なので、公開時には話題にもなっていたのだけれど
劇場で観る勇気が出ず、二の足を踏んでいるうちに上映が終わってしまった
映画は好きだ
でも自分は映像に強い影響を受けてしまうとわかっているので
劇場に行くのは、結構ためらいがち
ここでいう影響、というのは、ほぼ「傷」という意味になる
いい意味でも悪い意味でも、自分のなかに強く深く刻まれてしまう
それがすごく、怖い
一度良いと思えば何度でも劇場に行って
同じ作品を複数回観たりもするのだけれどね
『影裏』は扱っている題材が題材なだけに
自分がどういう影響を受けるのか、びくびくしていた
けれど実際に観てみたら、想像していたよりずっと凪いだ気持ちで観ることができたので、心底驚いている
なんでだろうと考えても、明確な答えは出ないけれど
もしかすると、登場人物たちの暮らしがわたしが大切に思う「暮らし」にごく近いものだったから、かもしれない
一部に関しては、あまりに身近で、ふつうにロケを見かけていたくらいに
〝今野〟と〝日浅〟は、何度も釣りに出かけていくのだけれど、
そのシーンはなんというか、身体の記憶が呼び覚まされるような感じだった
渓流の水圧、魚のぬめり、魚に釣り竿が引かれる感覚
川のまわりの森のざわめき、苔の手触り、生と死が循環している奇妙な実感
キャンプの音、薪のはぜる気配
黒く、ぬらぬらと光る夜の川
生々しく描写される〝今野〟と〝日浅〟の時間が
あんまりにも、わたしの愛するものや記憶たちできらきらしていて、こう、まったく適切でない表現なのだろうけれど
ホームビデオを見ているような感覚に陥る瞬間が何度もあった
夏になると聞こえる音、今年は聞けなかった、音
そして、綾野剛さんの繊細なお芝居と
光の描写がただただ美しくて、震えた
観終わった瞬間に「もう一度観たい」と思った作品は久しぶりだ
あぁ~劇場で観ればよかった!
こういうことになるんだから、勇気を出して劇場へ行ったらいいのにね
今晩は読みかけになっている原作の『影裏』を読むことにしよう