人生にはきっと、色んな形があるのだろうけれど

最近のわたしが、ずっと落ち着いた気持ちでいられるのは

自分自身の生活をきちんと営むこと、を取り戻しつつあるからかもしれない

 

頑張って全部を伝えようとすることも

四六時中スマホを握りしめていることも

心のどこかに奇妙な罪悪感を抱き続けることも

自分に暗示をかけることも

 

そうしたことを、いつの間にかしなくなった

 

幾人かの親友が、それぞれわたしの性質について話してくれるとき

自己犠牲、奉仕、という言葉を使うのだけれど

わたしはずっと、ピンと来ず、どちらかというと

自身の本質は自分勝手で、自己中心的な人間なのだと思ってきた

(今もその気持ちは変わらずに持っている)

 

この歳になり、人生の転機をいくつか越えた今

改めて友人たちに、言葉の意味を問うてみると

これまで見えていなかった自分の性質や思考の癖が、わかってきた

 

一度、決意したら、誓ったなら

それを守り通したいという気持ちが強く

そうなるように、意識的にも無意識的にも自分をコントロールしてしまうようで

 

良いところでもあり、悪いところでもあるそれを、友人たちはいつも見守ってくれているけれど

そのやり方は、できることならやめてほしい、ということだった

 

弱音を吐かない、愚痴を言わない、答えの出ない問いを他人に投げない

それは良さそうに聞こえるけれど、たぶん、わたしの欠点だ

 

わたしをずっと見守ってきてくれている人を、きちんと頼る

これをものすごく意識している今、わたしはだんだん、

本来の自分を取り戻してきているような、はたまたサッパリと殻がはがれたような、そんな心地がしている

 

自身の生活を、一番に置くこと

 

自分のことをないがしろにしない、っていうのが悉く下手なんだから

正しく距離をもった助言からは、目をそらさないで生きたいって思ったんだ